旅公演日記
旅公演日記2008春
肝っ玉おっ母とその子供たち
作:ベルトルト・ブレヒト 上演台本・演出:浅野佳成/関西・中国・四国・九州地方ほか
<キャスト> | |
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肝っ玉: | 辻由美子 |
料理人: | 柳瀬太一 |
従軍牧師: | 田中悟 |
イヴェット: | 柴崎美納/仲村三千代 |
アイリフ: | 鈴木亮平 |
スイスチーズ: | 栗山友彦 |
カトリン | 稲葉礼恵/白根有子 |
徴兵係・書記ほか: | 白石圭司 |
曹長・兵士ほか: | 高橋征也 |
Touch~孤独から愛へ
作:ライル・ケスラー●演出:浅野佳成/東北・関東・甲信越地方ほか
<キャスト> | |
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トリート: | 佐野準 |
フィリップ: | 佐藤勇太 |
ハロルド: | 酒井宗親 |
私が生まれ育った福島県福島市は都会ではない。が、極端な田舎でもない。演劇に馴染みがあるかといえば、「馴染みがない」といえる土地だ。
風の20年の歴史においても福島での一般公演など今まで決してなかったことであろう。
しかし、2008年7月26日・東京演劇集団 風の『Touch』の一般公演が行われた。
個人的なことを言えば・・・私が18年間育った土地で・・・高校演劇で立っていたステージで。
沢山の方にご来場いただき本当に嬉しかったです。バックステージツアー・ワークショップ・上演と様々な地元の方々の協力によって実り多い公演が出来たと感じています。
その土地ごとにどのような公演を行っていくか・・・思考する劇場から思考する公演へ・・・2008年春の『Touch』のツアーは終わりを迎えましたが、風の全国での活動はまだまだ続きます。
また福島での公演があるとしたらまた色々な取り組みが生まれることでしょう。風の挑戦はまだまだ続きます。
夏の日差しも強くなり、ますます暑さが増していく7月3週目の公演。
東京の東亜学園高校から始まった公演は、山梨県の双葉中学校、下吉田中学校、そして東京に戻っての大泉桜高校の公演でした。
ある学校で開演前に先生が生徒の皆に向けて諸注意などと共に、とても考えさせられる言葉を仰っていました。
「この舞台装置、ここに置かれている小道具、音や照明、演技もすべてに意味がある。君たちはそれをどう受け取るかだ。最初から壁を作ったら何も伝わらない。是非とも好奇心を持って観て欲しい。」
細かい部分は多少違うと思いますが、この様な言葉をかけていらっしゃいました。
現代では知りたいと思う事、興味がある事はインターネットなどを通じて情報としてはすぐに手に入ります。ですが、実際にそれに「触れる」事はなかなか出来ません。そんな中、客席の生徒の皆さんが何かを知りたいと思う気持ちをどう生かしながら、伸ばしながら芝居を「触れさせて」いくのか。
一回一回の公演を創りあげていく中で、決して忘れてはならない事です。
そんな事を考えさせられた一週間でした。
学校での公演は今週で最後。千秋楽は福島での一般公演です。
今週は埼玉県の二校。7月11日本庄高校、12日城北埼玉中学・高校でした。
本庄高校の公演後、出演者全員と座談会。かなり熱のこもった会になっていたようで、長い時間及んで開かれていました。
座談会後に出席していたメンバーが舞台に来て記念写真をパチリ。普段、裏方をやっているとなかなか生徒さんと触れ合う機会は少ないのですが、このような時にお話できることは嬉しいものです。
埼玉城北中学校・高校は午前 高校、午後 中学校の2ステージでした。
高校生は静かですが、食い入るように集中した空気を作り、中学生は舞台に巻き込まれるように、舞台を巻き込むように劇場空間を作り上げていました。
演劇とは決して舞台だけでは、役者だけでは成り立たない。舞台と観客が会って初めて演劇が生まれる。
たとえ同じ学校の生徒でも、観る人間が違えば新しい演劇が生まれる。そのことを感じるに良い機会でした。
新しい演劇を作り上げる中で、変化していくこと、変化してはいけない芯の部分とをみつめて旅公演を続けていきたいと思います。
6月14日に、岩手・宮城を襲った内陸地震。
その余震も収まらない、不安な被災地での公演が、6月下旬から続きました。取分け、震源地の宮城県、栗原市にある「鶯沢工業高校体育館」での7月4日の公演は、今回のツアーの中でも、特に印象深く、心に残るものとなりました。
校内のあちこちに残る生々しい爪痕が、地震の凄絶さを物語っていました。厳しい状況下での公演でしたが、舞台に寄せる大きな期待感が、水銀灯も点かなくなった体育館に充満していました。「今日のこの日を楽しみに待っていました。」という校長先生の言葉に、勇気付けられて、開演!-観て下さった皆さんの刻々の反応、そして共感の熱いまなざしと拍手に支えられて、2時間のドラマを客席と共に創り出すことができました。終演後、舞台の撤去の手伝いに駆けつけてくれた50人を超える生徒さん、先生方(全校の3分の1にあたる)一人一人の目が、輝いていました。皆、元気な笑顔で、「また来て下さい!」と声をかけて下さいました。
本当にありがとうございました。たくさんの元気をもらって、私たちの旅は、続きます。
3ヶ月にわたる『肝っ玉おっ母とその子供たち』の旅公演は7月16日(水)宝塚西高校、そして18日(金)南京都高校の公演で千秋楽を迎えました。千秋楽の公演は学校の終業式の日でもあったのですが、最後に即興で「劇団の皆さんにもう一度拍手を!」と言った代表の生徒さんの高揚した気持ちが皆に伝わり、あたたかい拍手の中で旅を終えることができました。
『肝っ玉』を学校公演にという立案者でもある座長の柳瀬がツアーの打ち上げの席で話しました。「はじめは九州で2週間だけでも上演したいと思っていたけど、初旅で54ステージ、大きな反響を得られた。そして今回、関西など新たな地で、『肝っ玉』が若い人々に通じたのは大きな成果と思っている。これからも真に若い人を勇気づけられる公演をし続けたい。」と。
そして肝っ玉おっ母役の辻は、2年前に『肝っ玉』を初めてツアーに出した初日の公演のことを毎日思い出していた。「高校生がこの芝居を本当に見るだろうか、という凄い不安の中で、自分たちの芝居をやりぬこうとしたあの日のことを忘れずに舞台に立ちたかった。」大きな反響という結果ではなく、創ろうとした時の(そして今の)動機から毎回の公演に臨んだ3ヶ月のツアーだった。
そして、8月8日~10日のレパートリーシアターでの『肝っ玉おっ母とその子供たち』東京公演が待っている。一人一人が時代に対しての希求やメッセージを持って、公演に挑みたい。
島根県は毎年のように公演で訪れているが、隠岐の島は公私共に初めての地。“初めて”というのはいつだって心ときめくものがある。
7月13日(日)松江市七類港から西条港へ上陸。そして隠岐島文化会館での仕込み。舞台の魅力を最大限に生かしたいと努力するのはいつものこと。この日も照明のバトンを仮設したり、舞台上のすのこに上がったり、様々な工夫が。
仕込みを終え海辺の宿へ。部屋の窓からは海が見え、時間の流れもゆったりと感じられた。
翌日、隠岐高校・隠岐水産高校合同の演劇鑑賞会。開場前に誰もいない客席を見ながら、舞台との距離は近いと感じたが、芝居が始まるとその感じはさらに強くなる。静かな場面の客席の息づかい、カーテンコールで向き合う客席の顔。「ふだん生の舞台を見ることのない私たち・・・」代表の生徒さんの挨拶に、生徒の皆さんにとってこの日の観劇が非日常のこと、その時間を舞台と客席がつくったと改めて思う。
フェリーに乗り遅れたら明日にしよう──と観光パンフレットにはあったけれど、乗り遅れるわけにはいかない。私たち風が次に行く機会を待ってくれていると思いたい。
東京・城北埼玉中学校から始まったこの週は岩手・大東高校、同じく岩手・紫波第一中学校、そして栃木・那須高原海城中学・高校と関東~東北を縦断しました。
この週は、今旅の折り返しにあたる週で、個人的にも印象深い週でした。
特に印象に残っているのは大東高校の座談会で「僕はフィリップがハロルドに初めて肩を抱かれるシーンで、男同士で気持ち悪いと思いながらも、そこで感動して泣いてしまった。そして、トリートの感情を抑えられない気持ちがよくわかる。」と話していた生徒の言葉でした。
彼にしかない何かを感じての言葉だったのでしょう。
こうして一度きりの公演を通して、一人一人がそれぞれの感性で演劇に触れるなかで、自分を新しく発見したり、出会ったりする。そして感じたことを話すことで、相手との出会いがある。
この、公演が終わったあとの出会いを大切にしてほしいと思います。また僕自身も大切にしたいと思います。
今の時代や社会に生きるなかで、一人一人が違ったものを抱えながら「Touch~孤独から愛へ」の上演に触れて、それぞれの「Touch」に出会ってくれたらと思います。
そんな、ひとつの出会いのかけがえなさを強く感じた週でした。
4月下旬から始まった旅公演も終盤に入り残る公演もあとわずか、今週は境港、米子市内の高校の合同公演を迎えました。
たくさんの笑いで解れた空気と、ぎゅっと空気が締まるような集中力を、舞台上と客席とでのやり取りの中から感じられた公演でした。
また、米子では公演後コミュニケーションワークショップを行いました。中でも失敗の中から笑いが生まれた、ジェスチャーで行う伝言ゲームが印象に残りました。自分が意図していたこととは違い、思わぬものへと形を変えていく。見ている人にはその失敗が可笑しさを生む。自分がどうするかということより、相手が何を伝えようとしているのかを受け取ろうとする姿に参加した生徒、劇団員共に感じることがあったのではないでしょうか。
他人とのコミュニケーションが稀薄だと言われる中、今回の公演やワークショップを通して、相手のために何ができるか、自分もそうやって必ず誰かに支えられている、そんなことが心に残る一週間でした。
肝っ玉の旅公演も6月の第三週に入り、いよいよ後半を迎えました。
島根県の情報科学高校から始まり、岡山の山南中学校、奈良の関西中央高校そしてもう一度、岡山での勝山中学校、最後に大阪の常翔啓光中学・高校の公演を終えました。
僕自身、この一週間は思いで深く、肝っ玉という作品を通して、また新たな出会いができたと思います。
僕達の演じる肝っ玉の時代に生きる人間も、現代を生きる人間も、きっと未来への希望、生きる勇気や不安を持って生きているんだと思います。
『あとから生まれてくる人たちに』
歴史の教科書には載ることもない、時代を生きてきた人間たちの生き様に、若い観客たちが出会うことで、戦争やその中で生き続けた人間の姿を見つめ、今の時代を一人ひとりが作り出してくれたらと思います。
『Touch』の春のツアーは関東・東北・甲信越地方を巡っている。しかし、この三ヶ月のツアーの中で一校だけ九州の公演が・・・今年で四年連続の公演を迎える大分大学教育福祉科学部附属中学校だ。
個人的にも三年連続の来校となり、今年はどんな出会いがあるのか期待に胸を膨らませながら・・・早朝七時、『Touch』メンバーは大分港に上陸した。この時期に九州、しかも体育館での公演ということで若干暑さが心配ではあったが、曇り空のおかげで過ごしやすさすら感じる。
いよいよ舞台の開演。客席は今年もまた暖かく私たちを迎えてくれた。一幕一場が終わっただけでも客席からは割れんばかりの拍手・・・そしてその盛り上がりはクライマックスまで続く。
公演後は例年通り三年生が座談会と片付けの二班に分かれ、ツアーメンバーとの交流が始まる。観劇の熱も冷めやらぬままの彼らは私たちに元気と発見をあたえてくれた。一年生で『肝っ玉おっ母とその子どもたち』、二年生で『Hamlet』を観劇した彼らは今回の『Touch』を楽しみにし、期待以上のものを感じてもらったように思う。生徒たちの笑顔・明るさから僕はそう感じた。
この附属中学校での毎年の取り組みは、勿論多くの先生方に支えられている。学校現場での情熱のおかげで毎年彼らに出会い、交流が出来ることに感謝しつつ、そして来年の公演を早くも楽しみにしながら・・・夜七時半、メンバーは帰りのフェリーに乗り込んだ。
6月2週目、岡山作陽高校の公演から始まった一週間。岡山~松阪(三重)~三国(福井)~京都と各地を駆け巡る。
生徒さんたちから「矛盾を抱えて生きる姿が人間らしい」など面白い感想をたくさんもらった。
子供を失ってもなお笑い、商売をし生きる肝っ玉や、“浮いたり沈んだり”しながら生きることに執着する人々に、奇麗事ではない人間そのものを見てくれているようだ。
「下層民の方が高いプライドを持っていることを忘れるな」旅前日の稽古場での演出の一言である。
私は肝っ玉の長女カトリンを演じているが、物語の中で言葉・美貌・二人の兄・結婚・安住の地・・・と欲しいものを尽く失っていく。そして最後に誰にも揺るがすことのできない自由と生命への祈りを手に入れる。
その振幅の大きさに、世界大戦の時代を生きた作者ブレヒトの人間への愛の深さを身にしみて感じる。
今の時代の影響をたっぷり受けている私にとって、『肝っ玉』の上演を通して出会った経験は大きい。
“成功の人生”といったものが商品のカタログのように押し付けられてくる現代の中で、若い人の心を揺さぶり、型にはめることのできない“生命”に出会える場を創り続けたい。
毎回の公演の記事を「風のBLOG」に載せていますので、ぜひご覧下さい!
今週は一旦レパートリーシアターKAZEに戻り、4日間の稽古を経てからの公演となりました。
稽古場では俳優たちも、旅での公演で得たものをありのまま出している様に感じられました。演出の浅野からのダメ出しは「芝居の即興性の中にある軸の部分を忘れない事」。
俳優たちだけではなく、音響としての自分にもそのまま当てはまるものだと思い、これから続く公演に繋げていければ、と痛感しました。
短いながらも得られる事の多かった稽古後の公演。会場は埼玉県の越谷コミュニティセンター。当日の朝は雨模様となっていましたが、開場の30分以上前から入り口で待っていた生徒さんたちが印象的でした。
今公演は獨協埼玉中学校・高校の公演。中学生と高校生が午前と午後に分かれての2公演でした。
どちらの客席もとても素直な反応をしていた様に感じました。中学生と高校生では着眼点も、芝居を観て沸き上がってくる思いも大きく違うと思います。ですが、どちらもその瞬間に自分が素直に感じた事をどう捉えるか、ではないでしょうか。
我々はそんな思いを、何を軸として受け止め、還してくか。演出からの助言をまた改めて考えさせられる公演であった様に思いました。
公演終了後には、朝から降っていた雨もいつの間にか止み、ほんの少しだけ太陽が顔を覗かせていました。
これからもまだまだ我々の旅は続きます。
入梅とともに『TOUCH』組は長野県の公演に突入!
6月3日 軽井沢高校では同校の体育館での公演。
6月とは言うものの、流石、避暑地。肌寒いなかでの設営でした。更に、本番が近づくにつれ、雨足が強くなり音も激しくなりました。このままでは台詞が聞こ
えなくなる。雨音対策を音響をはじめ座組一同講じていきます。
開演時間になっても雨は止まず、気温もなかなか上がりません。しかし、集中して観る生徒、その熱につれられてか雨も小降りに、気温とは裏腹に熱い公演とな
りました。
翌日は小諸市民会館にて、午前は小諸商業高校、午後は小諸高校の公演でした。
会館での公演は、裏方にはなかなか客席の様子が分かり難いのですが、反応が舞台袖中にいてもひしひしと伝わってきました。
それぞれの学校で公演の雰囲気が変わります。同じ場所で公演しても、たとえ全く同じ人が観ても、同じ公演はできません。
「今、ここで。」
そのことを胸に『TOUCH』組は次の地へ向かいます。
5月26日群馬県の嬬恋高校、29日青森県の鶴田高校での公演でした。
嬬恋高校は、包み込むようなあたたかい雰囲気が漂う公演でした。
鶴田高校はシーンと静かでだけど、しっかりと食い入るような眼差しを感じた公演でした。
僕はTouchの旅は2年目になります。
劇団に入る前のインターンシップ公演も数えると3年になります。
今思うことは、歳を追うごとにフィリップという人間が深まっていくのを感じます。
フィリップという人間に“なりきる”のではなく、ある一定の距離感を持つことで、観劇している若い観客たち・生徒たちのことや自分たちのやろうとしていることがはっきりしてきました。
そのことを単に押し付けるのではなく、彼らと一緒に創りたいと思います。
去年から続く今回の旅を通して、常に新たな気持ちで客席と、そして彼らを取り囲んでいる時代と向き合いながら、その日その場の出会いを大切にしていこうと思います。
6月4日、横田高校の体育館公演。5日は紀南文化会館にて1200席を超える客席数満席での田辺中学・高校の公演でした。
両校とも食い入るように登場人物それぞれの生き方を見つめる視線が印象的でした。
田辺高校の生徒会長さんからは終演後の挨拶で、やや緊張しながら「期待を裏切られました。」という言葉をもらいました。本人は間違えたという顔をしていましたが、この一言で盛り上がった会場の空気は最高で、彼の言わんとしていた事が目一杯伝わった瞬間でした。
『肝っ玉おっ母とその子供たち』のイヴェット役は初演以来9年振り、そして今回、この作品の旅公演初参加となりました。9年という時の流れは世の中を大きく変え、様々な問題を私たちに突きつけてきます。臭いものに蓋をし、汚い物は見て見ぬ振り、知らん顔し続けるために塗り重ねられてきた嘘八百・・・。こんな風に騙し騙し進んできた現代社会のひずみや皺寄せは、全て弱者に押し寄せて来る。もしこのままだとしたら・・・。
“後から生まれてくる人たちよ、きっといい時代に生きていることでしょう”これはブレヒトの未来への願いが込められた詩の一節です。いい時代とは?生きるとは?今、この時代を共に生きる者として、若い観客たちの期待を大いに裏切りながら一緒に考えていける旅を創りたいという思いを強くしました。
5月30日。広島の福山での公演です。
肝っ玉チームは、5月中旬に東京に帰ってから今日まで、月夜野で合宿稽古をした後、レパートリーシアターでもみっちり稽古を積んで、又これからの二ヶ月の公演に臨みました。
僕は、『肝っ玉』で旅公演に出演するのは、初めてです。けれど、僕が風でブレヒトに最初にふれることが出来たのが、レパートリーシアターでの初演、1999年の『肝っ玉』でした。
『肝っ玉』で最初にブレヒトへの挑戦を始めて、その後も、『第三帝国の恐怖と悲惨』『ドン・ジュアン』『三文オペラ』『マハゴニー市の興亡』などブレヒト上演を繰り返し、壁にぶつかるたびに、『肝っ玉』のことをふりかえっていました。
なぜならば、僕は『肝っ玉』の作品を通して、芝居の楽しみ(もちろん苦しみ)や、芝居を通じて思考することや、20世紀のもつ問題にふれる経験をしたからだと思います。
僕は、『肝っ玉』の旅公演で、若い観客に何かを感じてもらいたいと思います。
それは、僕が感じたような刺激や、思考することかもしれません。あるいは、その人にとっての希望をみいだすことかもしれません。
ブレヒトは、『肝っ玉』に観客が、感じたり思考する要素を多くもりこんでいると思います。その事を僕は、今旅で若い観客と共有していきたいと思います。
2008年4月28日。今年も『Touch』の旅が始まった。風ではもう10数年も上演され続けているレパートリーだが、自分にとっては3年目となる『Touch』。
1年目、初めて風の舞台に立ったインターンシップ公演。
2年目、去年の東北関東での旅を経験し、最後に東京での凱旋公演。
そして3年目、様々な出会いにより自分自身もこの作品と毎日新しく出会っているような気持ちになる。
2008年春のツアーの最後には生まれ故郷の福島で一般公演も行われる。
永く続いていくであろう、この作品との新しい一歩が始まった。
5月1日、『肝っ玉おっ母とその子供たち』旅班が全国での公演に向けて東京・レパートリーシアターKAZEを出発しました。
4月下旬の『ラプト誘拐』公演を終えて一週間足らず。その後、もうひとつの巡演作品『Touch~孤独から愛へ』を送り出しての出発でした。旅班は一路大阪港を目指し、その日はフェリーで宿泊、翌朝5:30北九州市に到着、仕込みをして本番、その日中に広島県へ移動して初体育館の夜仕込み。
旅の始めから、なかなかハードなスケジュール。
私は『肝っ玉おっ母とその子供たち』の旅公演に参加するのは初めてでした。また、『肝っ玉』は今回2度目の旅公演ということで、旅の新しいレパートリーに参加するのもとても久しぶりでした。緊張と期待感が入り交じって旅が始まりました。
客席の反応がひとつひとつ新鮮に感じられ、改めてブレヒトのおもしろさと、観察の鋭さに驚かされました。
下層民の言葉、そこで交わされる世間話や政治談義、食っていくための生命力、横っ面を引っぱたいて示されるおっ母の愛情。生徒たちの中に何か親しみやすさが起こってくるのが驚きでした。いま、お互いを思うほど、モラルを考えるほど、カモフラージュされた言葉が飛び交ってしまうなかで、『肝っ玉』の言葉は子どもたちにとって痛烈だし、爽快なのかもしれない。と思いました。
『肝っ玉おっ母とその子供たち』の旅は、福岡県:行橋高校、広島県:新庄中学・高校、可児市文化創造センターでの公開ゲネプロ、京都府:橘高校での公演を終えました。
旅はまだ始まったばかり。「なぜ今、若い世代に“肝っ玉”なのか」探し続けていきたいと思います。